kounankunobachoのブログ

横浜生まれ、横浜育ちのBayStarsのファンです。大阪在住が長くなり、故郷とのつながりを唯一感じられるのがベイスターズ。選手、監督、スタッフの気持ちになったつもりで、応援しています。

140試合を勢いだけでは3位になれない、中畑DeNA4年間の功績は大きい

 初のクライマックスシリーズ進出、三浦大輔の引退会見のあった、この日。DeNAが力を付けてきた5年間を振り返る記事がスポーツ報知で掲載された。以下、その転載。


【DeNA・番記者が見た】キヨシが戦った負け癖】


スポーツ報知 9月20日


 新球団初年度。「監督が目立つようではダメ」と言いながら、キヨシ監督が誰よりも目立っていた。


 関西遠征で外出すれば、「神戸の舞子に行ってきた。マイコー(マイケル?)ジャクソン。フォーッ」と絶叫。森本が盗塁すれば「相手はノーマーク。ひちょり旅!(一人旅)」。毎日、こんな調子で笑いが絶えなかった。自称「監督兼歌手」。ハードオフECOスタジアム新潟では「ここはエコーがきくなあ」と山本譲二になりきって『みちのくひとり旅』を熱唱した。


 だが、4月に広島・前田健にノーヒットノーランを食らい、リーグワーストタイの4試合連続完封負け。ナインはそこまで悔しそうじゃない。連日、ファンに「すみません!」と謝罪するキヨシ監督が一番、悔しがっていた。


 そう、チームには「負け癖」が染みついていた。特に若手は意識が低かった。ベテランが早出や休日返上で練習すると、「見せ練だ」、「アピラー」と冷めた視線を送る。首位と41ゲーム差、85敗でぶっちぎりの5年連続最下位に終わった。


 指揮官は「最後まで諦めない野球」を掲げ、使い続けたのが筒香だった。打率2割1分8厘も3年目で初の規定打席到達。キヨシ監督が冗談を飛ばしても表情を変えず、いつもキョトンとしていた大砲に「くすぐってでも笑わせてやる! 絶対に客を呼べる選手になるんだから」と話していた。筒香は今季、主将として気迫を前面に出して大活躍。キヨシ監督が笑って、苦しんでまいた種が、ようやく花を咲かせた。(12年初代担当・片岡 優帆)


 倉本も通年で2割1分で使われ続けて、一人前になったが、筒香も上記の通り。このくらいプロ意識の低い集団から、ようやく地力を付けて3位まで来たわけである。中畑監督の明るく、「あきらめない野球」「優勝する喜びを味合わせたい」という情熱が、2年目、3年目の3位争い、昨年の前半戦首位に結実したと思っている。


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