kounankunobachoのブログ

横浜生まれ、横浜育ちのBayStarsのファンです。大阪在住が長くなり、故郷とのつながりを唯一感じられるのがベイスターズ。選手、監督、スタッフの気持ちになったつもりで、応援しています。

DeNA・三浦、横浜残留と彼の隠された高校時代

 2009年にNHKが特集した、『スポーツ大陸 それでも俺は優勝したい~横浜 三浦大輔~』を昨夜見ていた。そこで、FA宣言した三浦がなぜ横浜に残ったのかという問いの答えを見つけた。


 彼は、上級生でないにもかかわらず、進学した高田商業で背番号1をもらう。同期は5人。甲子園出場を誓い、励まし合った。しかし、小学生時代から練習に明け暮れてきた三浦は、練習が嫌になり、非行の道に走る。学校まで休むようになる。心配になった同級生はみなで三浦に練習に戻るように説得に行く。しかし、戻っては来ない。ある日、同級生5人は、泣きながら三浦をぼこぼこに殴った。三浦はやっと気付いた。練習に戻ってきた。


 しかし、一度失った信用は取り戻せない。チームには、わだかまりが残る。監督が与えた背番号は5.そして言った。「信頼は一瞬に崩れる。信用は一日でもどらない」。三浦が信用を再び取り戻すための猛練習が始まる。同級生も、それについていった。


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「打倒天理でやってきたからな」。奈良大会決勝で敗れた高田商業エース三浦はいう。弱いチームでやり、強いチームに勝ち優勝する。それが三浦が横浜にとどまった理由であったろう。と同時に、「信頼される投手でありたい」、「逃げ出してはいけない、信頼をもう一度失ってはいけない」という思いが、三浦を、横浜にとどまらせたのではないだろうか。


 高校時代、頼りにするチームメートを裏切り、信頼を失った。だから、プロに入っての三浦は、一人もくもくと、マウンドに立つための準備をこなし、チームメートの信頼を失わないよう努力してきたのではないだろうか。



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