kounankunobachoのブログ

横浜生まれ、横浜育ちのBayStarsのファンです。大阪在住が長くなり、故郷とのつながりを唯一感じられるのがベイスターズ。選手、監督、スタッフの気持ちになったつもりで、応援しています。

DeNA・筒香は、なぜ成長できたか

 2シーズン続けて規定打席に到達し、プレミア12での活躍から、「日本代表の4番候補」といわれるまでになった筒香。彼はなぜ、そこまで成長できたのだろうか。「大村巌2軍監督兼打撃コーチ(当時)の指導の賜物」ともいわれるが、本当にそうだろうか。彼のこれまでを振り返り、この点を掘り下げてみたい。


 DeNAの中畑監督(当時)は、就任3年目を迎える2013年10月20日、筒香(21)を秋季奄美キャンプから外す考えを明かした。19日のフェニックス・リーグ、ソフトバンク戦での筒香の打撃を直接視察してのことだ。「速い球を打てないとダメだと言っているのに全然できていないし、その意識もない。荒療治をしないといけない」、「筒香は外すよ。10年に1人の逸材と周りに言われて、本人もそういう意識があるんじゃないか。打率2割1分でクリーンアップみたいな顔をしてふざけるな」、そう記者に語った。


 この中畑の決断に、育成対象選手に指定した高田繁GMは、「本当にいいのか?」と直接確認している。「今、(外すことを)しないと。(這い上がって来られないなら)それまでの選手でしょ」。中畑はそう決断の理由を伝えた。巨人で同僚だった定岡投手が、秋季伊東キャンプを外れ、翌年に活躍したことを念頭においてのことだった。


 こうして中畑から突き放されるかたちで、筒香は横須賀に残り、大村打撃コーチと2週間を過ごすことになった。「去年のシーズンも全然ダメで、奄美キャンプからも外れた。このままじゃ終わってしまう」。仲間と外れた筒香は、そんな心境だった。


 この横須賀での2週間、大村と筒香、2人の間には何があったのだろうか。大事なのはここだ。


 大村はこう語る。「最初にしたことは、筒香が入団してからの4年間を聞くことでした。彼がなぜ能力を発揮できずにいるのか、その障害となっているものは何なのか。そのプロセスを聞かないことには、進むべき方向を示せませんから」。


 大村は、DeNAに来るまでの7年を日本ハムで過ごしている。そこで学んだことを、次のように語っている。「(日本ハムは)こういうコーチングをしてくれというマニュアルが明確になっていたので、分かりやすかったですね。細かい内容までは言えませんが、気をつけていたのは選手と対話をして、よく選手たちの様子を観ておくことや、プロセスと結果があって初めてアドバイスは成立するものだということです。僕はそこにすごく感銘を受けました。だから、腕を組んで胸を張って偉そうに指示をするというのは、あってはいけない指導だという考えになりました。選手が何を求めているのか。どうしてダメなのか。何が必要なのか。どういう練習が必要なのか。どういう言葉が必要なのか。この選手はどういう風に育ってきたのか。どういう環境で生きてきたのか。どういう指導者と巡り合ってきたのか。そんな風に何十項目を考えながら、選手と接していかなければいけないということを学びました」。


 大村はDeNAの筒香にも同じように接し、入団してからの4年間をゆっくりと聞き出した。「筒香にとっていちばん大切だったことは、どんな打者になりたいのかを明確にすることでした」。そう当時を振り返る。


 このように大村と筒香との間にあったことは、日本ハムでコーチをしていた際の糸井や陽ダイカン、中田との間であったことと何も変わらない。記者の問いかけに大村は、「僕は何もしていない」とこたえるが、その通りなのだ。「(才能の入った器のフタを空ける)お手伝いをした」だけなのだ。もちろん謙遜ではあるけれども。


 2014年、オープン戦で筒香は、打率3割6分と好調をアピールし、5番左翼での開幕スタメンを勝ち取る。そして、リーグトップの得点圏打率をマークし続け、一躍その存在をファンに知らしめることとなる。ブランコ、中村紀洋の2人が開幕から4番で起用されたが、彼らが離脱すると、その穴を埋めるように中畑は筒香を4番に起用した。筒香の4番起用に対し、中畑は「勝ち取った4番だね」と絶えず口にした。そして活躍するたびに、「4番の自覚がでてきたね」と褒めることも忘れなかった。この間、大村は2軍監督として横須賀で過ごしている。


 たしかに中畑は、筒香を秋季キャンプ・メンバーから外した。しかし、筒香を見限ってのことではない。彼に危機感をもたせ、本人の自覚を促すこと。それが成長のきっかけとなると信じてのことだったのである。


 シーズン最終戦を前にした10月の巨人戦。なんとか筒香に打率3割の記録を残してほしいと願う中畑は、彼をスタメンから外すつもりでいた。「3割は勲章だからね」というのが中畑の持論だ。しかし本人が「どうしても出たい」という。打率が落ちることを恐れていた監督の前で、筒香はセンター・バックスクリーンに特大ホームランを打った。「あのホームランは、俺のために打ったんじゃないの?」。中畑はそうおどけたが、こういうウラ話があったのである。筒香は、ヤクルトとの最終戦を欠場したものの、堂々の3割でシーズンを終えた。


  そもそも、キャンプ参加メンバーを選抜する権限は、もちろん首脳陣・中畑監督にある。その権限を奮い、筒香を下に落としたこと。そのことが筒香成長の最大のきっかけであった。2013年の秋季キャンプに、もし中畑監督が彼を参加させていたら、どうなっていただろうか。自分は選ばれた、優れた人間だと錯覚し、打者として進むべき方向について真剣に見つめ直すこともなく、仲良しグループと遠足気分で過ごしていただけであろう。


 大村打撃コーチという良き人物に出会ったとはいえ、当人に「危機感」をあたえ、「自覚」をうながし、「結果を残すまで起用」した中畑によって、筒香は成長できたというのが正しい。このことで筒香は、自分の進むべき方向に自信もつことができたのである。そして翌年も勝負強い打者として成長。打率3割と高い得点圏打率を維持した。そばには、かつて2軍監督だった大村打撃コーチもいた。
 
 選手として、また人間として、まだまだ課題はある。今後の飛躍をファンは望んでいる。 





 最後に一言。
  筒香くん、中畑さんと大村コーチに感謝しなよー!
  それと「侍ジャパンの4番」と言われたら戸惑うよね? うん、うん。
  6番だもんね。       



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