kounankunobachoのブログ

横浜生まれ、横浜育ちのBayStarsのファンです。大阪在住が長くなり、故郷とのつながりを唯一感じられるのがベイスターズ。選手、監督、スタッフの気持ちになったつもりで、応援しています。

【寸評】巨5-11×De、初回6得点で先制したが、その後丁寧さがないのが残念

 初回、内海から、まさかまさかの6者連続タイムリー。内野手正面のゴロヒットもあり、ラッキーな面もあった。しかし、DeNAの各打者は、ツーアウトだから自分で終わりたくないのか、それとも走者を得点圏においていたからか、一球一球を丁寧に選んで打席にたっていた。


 ところが、2回からは一変。各打者が大振りだし、つなごうという意識も見えない、まさに「雑」という言葉が相応しい。監督・コーチの立場で、「おい、一打席を丁寧に、大切に扱おう」と言ってやりたい心持ちで眺めていた。その感想は、筆者だけではないようで、その日の「プロ野球ニュース」でも、笘篠氏が、「CSに行こうと思ったら、初回の大量点に安心せず、次の回からの点の取り方も大事」と、取り上げていた。


 まだまだ広島野球と差がある。打てないと勝てない野球ではいけない。



DeNA・先週の打線低迷から、どう脱却するか

 先週のヤクルト3連戦、中日3連戦は、1勝3敗2中止となり、2敗の負け越し、借金は4つとなった。この間の野手の「スランプ」については、選手の疲労、左投手を苦手にしている点、野手の起用方法など様々な点が指摘されている。


 大かたの評者は、ラミレス監督の采配にその理由を求めるのではなく、選手のパフォーマンス低迷が、負け越しの主要因であるとする点で一致している。それでは、どのように、この打線の低迷から脱却できるのか。


 筆者は、選手個々が「うまくいった場面」を思い出すのではなく、過去の「失敗した場面」を思い出すことが、必要だと考える。そのアイデアを得たのは、為末大著『走りながら考える』ダイヤモンド社、2012年のブックレビューを読んで、得心したためだ。以下、レビューより引用(amazonブックレビュー)。


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一つは、「自己肯定感」がどこから生まれるか、との話。
「振り返ってみると、意外にも、勝利そのものは自信にならない。むしろ勝負どころで頼れるのは、あのとき転んだけれどまた立ち上がったじゃないかという気持ち。『あのとき俺は勝ったじゃないか』というよりも、『あのとき自分は逃げなかったじゃないか』というほうが、明らかに自信につながる。自分の『立ち上がり際』が自信になる」(27ページ)。


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 論証する材料として、上記の引用だけでは足りないのは、もちろんである。ただ、現状、DeNA打者は、失敗を過度に反省し、次こそはと力み、自縄自縛している。経験のあるベテランが、彼らの重圧を引き受けられれば、簡単に済むような話にも見える。優勝したベテラン経験者ではないが、中日を戦力外になった柳田殖生が、かつて「恐いものはないです。一度地獄を見ましたから」と話し、起用後すぐに渋い活躍をしたことが上記の為末の記述に重なるように思えた。


 昨日のソフトバンク戦での日本ハム選手のプレーを見ても、思った。彼らは自分のできることを淡々とプレーしている。桑原も倉本も、アウトになったことを次に引きずらないでプレーするよう心掛けてきたはずだ。今は、どうだろう。それを知る由もないが、もう一度、その原点に戻ってみてはどうだろうか。


 


2番エリアン固定で減少したヒットエンドラン。先発石川雄洋との勝敗の差

 ほぼ表題通りの内容であるが、エリアンが先発2番打者として固定されるようになり、エンドランがなくなった。石川選手が先発であった際には、頻繁にエンドランがあり、それがうまく決まっていたので、DeNAの得点方法が変わってきたという印象がある。


 エリアンは確かに日本野球になれ、当たりだしてきたし、好打者である。しかし、DeNAの攻め方に足を使うことがなくなった。


 先発石川と先発エリアン。もしかしたら、石川のほうが得点力があるのかもしれない。注目していきたい。